托鉢で貧しい人を回る理由・意味

仏教には托鉢という修行があるんですよ。

修行僧のお坊さん達が、各家庭を回って施しを受けるという修行です。

一見すると収入を得ないお坊さん達を支える檀家さん達。

みたいな印象を受けますが、これって人間心理の深い教えのような気がします。

托鉢はなぜ「貧しい人」の家に向かうのか?




 

お釈迦様は貧しい人の家に行って托鉢しなさいと言ったらしいです。

なぜ貧しい人なんでしょうね?

お金持ちの家を回った方が効率良くたくさんもらえるのに・・・

 

1.修行僧の為

 

お金持ちから何かをもらっても心は痛みませんが、

貧しい人達から施しを受けたら心が痛むでしょう。

そういう人の痛みを知るためにあえて貧しい家を回らせているのかもしれません。

それでも何かをくれた人々の為にできることは何か・・・?

心の痛みを知らない人間に悟りの境地は開けません。

 

2.貧しい人達のため

ただでさえ貧しくて、自分たちですら食べるのもままならないのに托鉢はやってきます。

しかもとんでもない頻度でやってくるわけです。

自分たちの生活を切り詰めてでも托鉢しなくてはなりません。

何も与えることができなければ申し訳ない・・・

と思うから一生懸命働く気になれるのかもしれません。

人は自分の欲望のためにはあまり本気にはなれない生き物なんです。

(一部強欲な人達を除き)

でも他人のためとかにはなぜか頑張れる!

托鉢のおかげでモチベーションアップにつながります。

貧しさから抜け出したければ今よりもっと頑張って働きなさい!

ということを教えたいのかもしれません。

托鉢なんか屁でもねーぜ!というくらい稼げるようになったら・・・

托鉢は来なくなるのでしょう。

でも本当はもっと核心を突いてると思ったんですよね。

商売の基本って「他人ができないことを代行する」じゃないですか?

だって自分でできることはわざわざお金払ってやりませんからね。

例えば、洗濯はできるけどやってる時間がない→クリーニングに頼む

料理は作れるけど作ってる時間がない→お弁当屋で買う

髪の毛切れるけど上手に切れない→美容室で切ってもらう などなど

人の「困った」を助けてあげるとお金をもらえるんですよ

ということをお釈迦様は伝えたいのかも知れません。

だとしたらもの凄く理にかなってますよね?

人助けをしなさい、そしたら貧乏から脱出できますから

ってね。

 

 

 

本来の托鉢は、お坊さん達が本気で食うに困っていたのでやってたらしいので

最近の托鉢は「こじつけ」みたいなところはありますけどね?

外国なんかの托鉢は集めた物資で金ぴかの寺院に住んで高級車乗って・・・みたいな

本当にそれでいいのか?って感じになってますけど・・・

ま~1つの考え方がそこにあったということで良しとしましょう。